今日は、二輪の環境変化について書いてみます。
先日の会議資料が、とても良く、再確認できた内容でしたのでちょっとご紹介を。
今日は、1968年から1989年までを振り返ってみましょう!
1968年
富士重工が二輪事業から撤退し、以降国内メーカーは現在の4社となる。
1969年
メーカーによる排気量自主規制(750ccまで)
富士重工のスクーターは、ラビットですね。
排気量自主規制が始まった時は、私は3歳です。
なので今でも、大型バイクのイメージは「ナナハン」です(笑)

ツーリング150(Wikipediaより)
1975年
限定解除免許制度の導入
1982年
国内販売台数327万台
1982年
三ない運動の始まり
1979年〜1983年
スクーターブーム。HY戦争始まる
1982年が販売台数のピークです。
HY戦争とまで言われるくらいの熾烈な販売合戦が行われていたのもこの頃ですね。
当時はスーパーでもスクーターが並んでいましたね。
同じ1982年に、全国高等学校PTA連合会の大会が地元、仙台で開催され三ない運動を推進することを決議したようです。(Wikipediaより)
まさか、ここ仙台で決まったとは、驚きでした。
1980年代
レーサーレプリカブーム
1986年
原付ヘルメット着用義務化
1987年頃
各社メットインスクーターの投入
1989年
4月に消費税3%
メーカーによる馬力自主規制(750cc・75馬力)
1986年は、私が就職した年です。
入社してすぐに、ヘルメット着用義務になったのを覚えています。
走り出してから、「あ!ヘルメット」って事が度々ありましたね。
で、そのヘルメットを収納できるスクーターが出始めたのもこの時期です。
メットインスクーターって言い方は、当時ヤマハでは言っちゃダメだったような(笑)
でも、メットインの始まりは、ヤマハのボクスンだったはずです。
さらに、この時期は、レーサーレプリカ全盛時代で、真夏にツーリングに行く時も革ツナギを着て走ってましたね。
こんな感じでした(笑)
その他にも、1977年に女性免許取得者が男性を超えています。
主力スクーターの実勢価格が5万円を割って、自転車と競合していたり、バブル景気だったこの頃時代ですね。
1966年生まれの私としては、自分の成長と共に進行している状況です(笑)
明日は、1990年からお伝えしたいと思っております。
では、また明日!
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