爽快日記

3・11から6年。今思う事、感じる事。当時を振り返ってみました。

思い出して悲しくなるのは被災者だけでいいよ。

他の人は楽しく過ごして被災した人たちを元気付けてくれればいいよ

 

https://twitter.com/sutazusama/status/840358782890737664

お客様ドンキーさんのツイートから。

 

 

2012/ 3/11  9:15

祖父の家近所。閖上

 

仙台のバイクショップティーズ社長@高橋新一郎です。

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東日本大震災から6年

 

6年前の今日、14時46分。

私は、週末の納車打ち合わせを、スタッフと工場内で行っていました。

その日、夕方からは、お彼岸を前に、祖父の家に行く予定がありました。

その前に、週末の予定を確認し段取りをと思っていた瞬間、地震が起きました。

「あ、来たな、宮城県沖地震だな!」って。

揺れは思っていたより大きく、時間も長い。

頭の中では、「地割れして、飲み込まれちゃんだなぁ〜」って思うほどでした。

スタッフみんなで、「止まれ!早くやめて〜」と叫んだ事を思い出します。

 

目の前の、バイクがタタターと動き出し、「あ、倒れる!」って手を出した瞬間に、別のバイクが私の体に倒れて来ました。

スタッフ全員、目の前のバイクを支えながら叫んでいました。

今考えれば、逃げ出すことが先決だったと思いますが、

倒しちゃいけない、週末納車のバイクを守っていました。

 

一旦、揺れがおさまり、状況を把握しに店内を見渡すと、あちこちでバイクが倒れています。

事務所内は、書庫が倒れ、事務机を直撃、机は半分からヒビが入ってます。

その机は、妻が常に使う机。

夕方から、祖父の家に行くため、お土産を買いに出かけたところでした。

もし、そこに座っていたらと思うと、今でもゾッとします。

机の隣のソファーでは、母が書庫が倒れ動けいない状況です。

散乱した書類や書庫をスタッフと片付け、救出しました。

 

16時ごろに、祖父の家に出発する予定なのに、母が早めに店に来ていました。

お土産を早めに買いに行き、母と予定より早く、祖父の家にむかい、

地震がやって来ていたら…

 

幸いに、実家の親戚(閖上地区)はみんな避難し無事でした。

2日ほど、従兄弟が津波で流され行方不明でしたが、意識が戻り無事が伝わりました。

数日後、実家を訪ねた時が、先の写真です。

家が無いという事だけではなく、どこが家だったのか?何もなくなると検討がつきません。

こんなに、海が近かったっけ?って思うほど、すぐ海が見えました。

 

震災の当日、ラジオでは、「○○地区で、××名の死体…」と情報が流れ、

山手の私たちは、何が起きているのか?全く理解できませんでした。

街中のビルが崩壊し、死者がそんなに出ているのか?

情報が全く入らず、メール、電話はつながらず、停電でTVからも情報がありません。

夜になり、東京にいる姉や知り合いから、「仙台空港で飛行機が流されてる」

ええ?津波で?飛行機が?って感じです。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

そうです、津波を経験したことのない私たちは、大津波警報がどのようなものなのか知りえません。

 

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昨年、11月の地震発生時、TVで、「すぐにげて!」

避難してくださいではなく、すぐにげて、

非常にストレートで、ひらがなで、子供にもわかるように表示されました。

 

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11月の地震翌日の新聞。

 

車で避難中に、津波で流された記憶が薄れ、渋滞が起きてしまってます。

6年の歳月が過ぎた今日、もう一度、地震の怖さ、津波の恐ろしさを、再認識しなければならないと思いました。

 

原発事故や津波被害でまだまだ復興は道半ばです。

地元の私たちにも、震災の記憶に温度差が出て来ているのも事実です。

震災体験を伝えるだけではなく、いつ来るかわからない天災に備えが必要だと言うことを伝えたいと思います。

 

 

3・11から6年。

こうして仕合わせに生活が出来ていることに、感謝したいと思います。

 

黙祷